幕府役人の厳しい監視を欺くため、信徒たちは身の回りにある日用品や仏具に信仰の象徴を巧みに隠しました。その代表格が「マリア観音」です。一見すると慈母観音や子安観音の白磁像に見えますが、胸元に微小な十字架が彫り込まれていたり、胸に抱く赤子をイエスに見立てて祈りを捧げていました。
また、祈りの言葉である「オラショ(ラテン語のoratio=祈りに由来)」は、文字として書き残せば弾圧の証拠となるため、すべて口頭伝承によって親から子へと密かに伝えられました。数世代を経て受け継がれるうちに、ラテン語やポルトガル語の原音に日本語のイントネーションが混ざり合い、まるでお経のようにも聞こえる独特の節回しへと進化を遂げたのです。
明治以降、禁教が解かれた外海地方の出津集落では、フランスから赴任したマルク・マリー・ド・ロ神父が、信仰の回復だけでなく、授産施設(ド・ロ神父記念館・旧出津救助院)を設立。製麺や織物などの技術指導を行い、貧困に苦しむ住民の生活自立を支えました。祈りの伝統と生活再建の情熱が融合した景観は、いまも出津の地に色濃く残されています。