日本における汁かけご飯の歴史は非常に古く、平安時代から鎌倉・室町時代にかけては「湯漬け(ゆづけ)」や「水飯(すいはん)」として日常的かつ高貴な食事形態でした。戦国時代の覇者である織田信長も、桶狭間の戦いに出陣する直前、立ったまま湯漬けをかき込んで出撃したという逸話は広く知られています。当時は保温ジャーなど存在しなかったため、冷えて硬くなったご飯を美味しく迅速に食べるための合理的な手段だったのです。
しかし、これが「不吉な行為」として武家の間で強烈にタブー視される契機となったエピソードがあります。江戸時代の歴史書『名将言行録』に記された、小田原北条氏の当主・北条氏政(ほうじょう うじまさ)の「二度汁」の逸話です。
ある日、氏政がご飯に味噌汁をかけて食べていた際、汁の量が足りず、もう一度味噌汁を上からかけ足しました。これを目撃した父・北条氏康(うじやす)は深く嘆息し、「毎日食べている飯と汁の分量すら一度で見極められない者に、領国や家臣の心を推し量ることなどできるはずがない。北条家も我が代で終わりか」と涙を流したと伝えられています。この出来事から、武士の間では「汁を二度かける=落首(首が落ちる)」「見通しが立たず合戦に敗れる凶兆」と結びつけられ、汁かけ飯そのものが縁起の悪い悪習として忌み嫌われるようになりました。