駒形どぜうの歴史は、越後出身の初代・越後屋助七が浅草駒形にめし屋を開いた1801年(享和元年)に始まります。当時の江戸は町人文化が爛熟期を迎え、精のつく庶民の味覚としてどじょうが大流行していました。助七は看板に「どぢやう」ではなく、奇数文字を好む江戸っ子の縁起担ぎから「どぜう」の4文字を用いた文字(当時は3文字表記)を考案し、これが幕府の評判を呼んで江戸名物として定着したと伝えられています。
関東大震災や東京大空襲という度重なる灰燼を乗り越え再建された現在の本店は、江戸時代の代表的な商家建築である「出し桁造り」の威容を今に伝えています。暖簾をくぐった瞬間に広がるのは、現代の飲食店ではまず見られない1階の「入れ込み座敷」です。
畳敷きの大広間に「まな板」と呼ばれる細長い一本板が何列も渡され、客は座布団一枚のスペースに腰を下ろして肩を寄せ合います。この空間設計には、身分や肩書を取り払い、同じ鍋を囲んで酒を酌み交わした江戸町衆の「結界のない社交場」の精神が宿っています。隣席の煙や話し声さえも風情の一部として溶け込むこの空間体験こそ、単なる外食を超えた文化財的な価値を持っています。
なお、長時間の正座が困難な高齢者や、畳文化に不慣れな訪日外国人に向けて、地下フロアおよび2階・上階にはテーブル席や椅子席の個室も整備されています。伝統の粋を守りつつ、多様な客層を受け入れる柔軟な動線設計がなされている点も見逃せません。