多くの読者が疑問に感じるのは、「なぜ二本持っているだけで、そこまで厳しく叱責されるのか」という点です。師匠の放った二つの決定的な言葉の意味を解きほぐすと、人間の認知バイアスを的確に見抜いた教育論が見えてきます。
まず注目すべきは諸矢を恐るべし 意味の本質です。「諸矢(もろや)」とは二本の矢、すなわち一本目を射た後に控えている予備の矢を指します。師匠が恐れているのは、矢そのものではありません。「控えがある」と知覚した瞬間に、人間の脳が無意識に発動させてしまう心理的ブレーキの緩みです。矢を二本持っている初心者は、「たとえ一本目を外しても、もう一本ある」と意識のどこかで甘えています。本人は真剣に構えているつもりでも、潜在意識のレベルで一射への切迫感(コミットメント)が希薄化してしまうのです。
次に、名文として人口に膾炙する初心の人二つの矢を持つことなかれという警句です。「なかれ」は強い禁止を示します。熟練者であれば二本の矢を持とうが百本の矢を持とうが、いま弦にかかっている一本に対して極限の集中を保つ技術と精神力を備えています。しかし、基礎が身についていない初心者が「選択肢(オプション)」を持つと、認知リソースが分散し、フォームや呼吸への注意力が簡単に崩壊します。
そして師匠は、一矢に定むべし 意味として「ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と教えます。「得失なく」とは、当たったか外れたかという目先の結果に一喜一憂しないこと。結果への執着を手放し、「今放つこの一本の矢ですべてを完結させる」という純粋な没頭状態を作れと説いているのです。兼好法師はこのエピソードを通じて、人間が陥りやすい「無意識の甘え」の構造を鋭利なメスで切り開いてみせました。