なぜBAADは、これほどの名曲を生み出しながらも1999年に解散に至ったのでしょうか。その深層には、1990年代特有の音楽プロデュースシステムと、生身のロックバンドが抱えるアイデンティティの葛藤がありました。
最大の転換点は、ヒット直後の1995年秋に行われたフロントマン・山田恭二の脱退です。当時の関係者の証言や残されたインタビュー記録を総合すると、提供されるキャッチーな王道ポップロック路線と、バンドが本来志向していたブルースやハードロックに根ざしたアーティスティックな表現との間に、徐々に乖離が生じていたことが浮き彫りになります。ミリオンセラーを義務づけられる過密な制作スケジュールとタイアップ中心のヒットメイキング構造は、表現者としての繊細な内面に重いプレッシャーを与えていました。
山田の脱退後、バンドは新ボーカルとして秦幸益(はた ゆきよし)を迎え、レーベルを移籍して活動を継続します。より重厚で洗練されたロックアプローチを模索したものの、世間が求めた「スラムダンクのBAAD」という巨大なイメージを塗り替えることは容易ではありませんでした。結果として1999年にバンドは解散。商業的成功の果実を得た代償として、自分たちの純粋な音楽性をどのように守るかという、90年代ビーイング系アーティストの多くが直面した命題がそこに刻まれていたのです。