普仏戦争の根本的な原因は、ドイツ統一を目指すプロイセンと、ヨーロッパ大陸の覇権維持を狙うフランスの利害対立にありました。当時、小国が分立していたドイツ地域では、宰相ビスマルクのもとで強力な中央集権国家の建設が進んでいました。
ビスマルクには明確な計算がありました。バイエルンなど反プロイセン感情が残る南ドイツ諸邦をまとめ上げ、悲願のドイツ統一を果たすには、共通の「外敵」との戦争が必要不可欠だったのです。一方、フランス皇帝ナポレオン3世は、国内の支持率低下や外交的孤立に直面しており、対外的な勝利によって皇帝の威光を取り戻したいという焦りを抱えていました。
両国の緊張が一気に高まった引き金が、スペイン王位継承問題です。スペイン国王の後継候補にプロイセン王家(ホーエンツォレルン家)の親戚が浮上したことで、東西を親プロイセン勢力に挟まれる危機感を抱いたフランスが猛反発。この対立をビスマルクが最大限に利用したことで、全面戦争へのカウントダウンが始まりました。