長年信じられてきた「全山焼失・数千人死亡」という通説に対し、現場の発掘調査は全く異なる景観を提示している。比叡山延暦寺の主要区画である東塔や西塔、横川周辺における土層分析では、1571年当時の大規模な火災痕跡が特定の建物周辺に限られていることが分かった。
当時、比叡山には無数の坊舎が立ち並んでいたが、出土した瓦や焦土の分布を分析すると、焦土化が確認されたのは政治的・軍事的に対立関係にあった特定の拠点のみだった。山全体が一瞬にして焦土と化したという従来のイメージは、後代に編纂された軍記物や劇的な物語によって拡大解釈された側面が極めて強い。