幼少期から演劇の熱気に囲まれて育った彼にとって、劇団東京乾電池のアトリエや下北沢の劇場街は日常の風景だった。偉大な父の背中を見て自然と芝居の世界に入ったものの、キャリア初期は「柄本明の息子」という大きな看板と背中合わせの格闘でもあった。
しかし、舞プロモーションに所属して現場経験を積み重ねる中で、自らの立ち位置を自力で切り開いた。モデル的なルックスや体型をアピールするのではなく、役柄に合わせて身体の使い方を自在に変貌させる。その泥臭いプロ意識こそが、監督やプロデューサー陣から重宝される最大の理由だ。