宇多田ヒカルの幼少期は、一般的な家庭像とはかけ離れたものでした。ニューヨークを拠点に、音楽プロデューサーである父・宇多田照實氏と母・藤圭子が設立した音楽ユニット「U3」として、スタジオのソファで眠りながら音楽機材に囲まれて育ちました。母の歌声を最も間近で聴き、その天才的な感性に触れていたのは間違いなく幼きヒカル自身でした。
しかし、家庭環境は極めて波乱に満ちていました。照實氏と藤圭子は離婚と再婚を7回以上繰り返すという常軌を逸したパートナーシップを続け、感情の起伏が激しい母の存在は、思春期のヒカルの精神に過酷な影を落とします。宇多田ヒカル自身も後に明かしている通り、「母が感情のコントロールを失うたびに、家の中の空気が一変する」という緊張感の中で日々を過ごしていました。
世間を震撼させたのが、2006年に起きた米ニューヨーク・JFK空港での巨額現金差し押さえ事件です。藤圭子が所持していた手荷物から、米税関当局によって約42万ドル(当時のレートで約4900万円)もの現金が発見され、麻薬密売の嫌疑をかけられて全額没収されました(その後の調査で違法薬物との関連性は完全に否定され、全額返還が認められています)。世界中を現金を持って放浪し、ラスベガスなどのカジノで巨額の金を消費する彼女の奇行は、メディアでセンセーショナルに報じられました。
晩年には家族との連絡を絶ち、宇多田ヒカルに対しても一方的に距離を置くようになっていました。傍目には「泥沼の絶縁」と映ったこの関係ですが、当事者の胸中は単純な断絶ではありませんでした。宇多田ヒカルは母の行動が「精神の病」に起因するものであることを深く理解しており、憎しみではなく「救えない無力感」と葛藤し続けていたのです。直接会うことは叶わなくとも、音楽という共通言語を通じて、魂の結びつきは決して切れていませんでした。