世間から「美男美女のビッグカップル」と祝福されて始まった新婚生活でしたが、その実態は過酷を極めました。入籍からわずか1年8ヶ月後の1983年5月、ふたりは正式に離婚を発表することになります。
スピード破局に至った最大の要因は、長渕剛が求めた極端な「昔気質の家庭像」と、若き新妻にかかった過重な負担でした。長渕剛は「妻は一歩下がって夫に尽くすべき」という強い信念を持っており、石野真子に対して完璧な家事と身の回りの世話を徹底して要求しました。さらに長渕の母親との同居が始まると、嫁姑関係の板挟みや介護問題が生じ、家庭内の緊張は限界に達していきました。
また、創作活動において妥協を許さない長渕剛のストイックすぎる性格や、感情が高ぶった際の激しい気性が衝突の火種となり、家庭内での口論が絶えなくなりました。精神的にも肉体的にも追い詰められた石野真子は実家へ戻る形をとって別居生活へ突入し、修復不可能な溝が埋まることなく、結婚生活はわずか2年足らずで幕を閉じました。