ネット上やSNSの一部では「獪岳も環境に恵まれなかった被害者ではないか」「善逸ばかりが愛されたことへの反発は理解できる」といった同情的な言説が見られることがあります。しかし、作中の確定した時系列と設定を検証すると、彼の行動パターンには幼少期からの致命的な一貫性が存在します。
獪岳はかつて、岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)が寺で孤児たちを育てていた時代に、その寺に身を寄せていた子どもたちの一人でした。しかし、寺のお金を盗んだことが発覚して追い出された際、夜の山で鬼に遭遇した獪岳は、「寺の子どもたちの命を差し出す代わりに自分の命を助けてくれ」と鬼を寺へ招き入れ、仲間を皆殺しに追いやった張本人でした。
この過去は、獪岳の行動原理が「環境の被害」ではなく、「自己の生存と利益のためなら他者を平然と裏切る性格的特性」に根差していることを証明しています。
さらに、善逸との関係においても、善逸は獪岳を心から尊敬し、共に雷の呼吸を継ぐ兄弟子として慕っていました。しかし獪岳は、善逸の敬意を受け取るどころか「出来損ないと同等に扱われた」と認知を歪め、自らを被害者の立場に置き続けました。善逸が放った名セリフ「心底お前が嫌いだった。でも尊敬もしてたんだ」という言葉は、獪岳の孤独な歪みを浮き彫りにしています。