山内体制が53年目に突入した2002年5月、任天堂は世界を驚かせる発表を行いました。山内氏が74歳で社長を退任し、後継者として指名したのは、当時わずか42歳、任天堂プロパーでも山内家の親族でもない岩田聡氏(当時取締役経営企画室長)だったのです。
長男の克仁氏や、米国任天堂(NOA)を成功に導いた娘婿の荒川實氏など、有力な親族候補がいながら、なぜ山内氏は下請け開発会社(HAL研究所)出身の岩田氏に全権を託したのでしょうか。そこには、山内氏が下した極めて合理的かつ先見的な判断が存在しました。
後継者指名に至った決定的な理由は、主に以下の3点に集約されます。
- 類まれなる「技術への深い理解」と「経営判断力」の融合:岩田氏は天才的なプログラマーでありながら、経営破綻寸前だったHAL研究所を再建した確固たる実績を持っていたこと。
- 強烈な自己主張を持つ社内クリエイターたちを束ねる包容力:宮本茂氏をはじめとする天才クリエイターたちと対等に議論し、彼らの能力を最大限に引き出せる唯一無二の存在であったこと。
- 「山内溥の真似をしない」という覚悟:カリスマの後を継ぐ者が同じやり方をすれば会社が瓦解することを見抜き、論理的かつ対話型の新世代リーダーシップを求めたこと。
社長就任を打診された際、山内氏は岩田氏と個室で向かい合い、「任天堂の連中は君を嫌うかもしれんが、君しかいない」と語りかけたと伝えられています。同族経営の軛(くびき)を自ら断ち切り、会社の永続的な成長のために最もふさわしい「器」を選び抜いたこの決断こそ、山内溥という経営者の真の凄みでした。