寛一郎を語る上で避けて通れないのが、日本芸能界屈指の「三代俳優」という血統です。祖父は昭和・平成の日本映画を牽引した巨星・三國連太郎、父は日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を複数回受賞しているトップ俳優・佐藤浩市。さらに母親は舞台演出や執筆活動でも知られる広田亜矢子(俳優・広田レオナの従妹)という、表現者のサラブレッドとして生を受けました。
しかし、寛一郎自身は幼少期から安易に俳優を目指していたわけではありませんでした。父の撮影現場に連れて行かれることはあったものの、思春期までは映画の道に進むことに強い抵抗感があったと当時のインタビューで語っています。18歳を過ぎ、何百本もの古今東西の映画を貪り観る中で「自分自身を表現する手段は映画しかない」と覚悟を決め、親の反対や世間の詮索を覚悟の上で表現の世界に飛び込みました。
本名は佐藤 寛一郎(さとう かんいちろう)ですが、デビュー時に選んだ芸名は苗字を外した「寛一郎」でした。これは「親の威光を借りたくない」という本人の強いプライドと、佐藤浩市がかつて父・三國連太郎の苗字(本名:佐藤政雄)を使わず「佐藤浩市」として自力で名を成した歴史への敬意が込められています。