朧月という言葉は、日本の文芸史において重要な役割を果たしてきました。特に有名なのが、紫式部によって執筆された『源氏物語』の登場人物「朧月夜の君(おぼろづきよのきみ)」です。
右大臣の六の君である彼女は、時の権力者である兄や父の意向に反し、主人公・光源氏と情熱的で危険な密通を重ねるヒロインとして描かれます。二人が初めて契りを結んだ夜、彼女が口ずさんだ大江千里の古歌「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜にしく(似く)ものぞなき」に由来してこの呼び名が定着しました。晴れ切ることも完全に曇ることもない朧月夜の妖艶な曖昧さは、道ならぬ恋に身を投じる彼女の情熱と儚い運命を見事に象徴しています。
また、近世の俳諧においても朧月は名句の数々を生み出しました。
江戸時代の俳人・与謝蕪村による「菜の花や月は東に日は西に」は、沈みゆく夕日と東の空に昇る朧月、そして一面に広がる黄色い菜の花の色彩コントラストを鮮やかに切り取った傑作として知られています。
近代に入ると、高野辰之作詞・岡野貞一作曲による文部省唱歌『朧月夜』(1914年発表)が誕生します。「菜の花畠に入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし」から始まる歌詞は、長野県中野市周辺の春の夕暮れをモデルにしたと伝えられており、現在でも日本の原風景を歌った名曲として世代を超えて歌い継がれています。