安重根は1879年7月16日、李氏朝鮮・黄海道海州の名望ある両班(貴族階級)の家系に生を受けました。幼少期から漢学や弓術、乗馬に優れ、情熱的かつ武闘派の一面を持つ青年へと成長します。胸と腹に7つの黒子があったことから、北斗七星の気運を受けた子として幼名を「応七(ウンチル)」と名付けられました。
1897年には家族とともにカトリックに入信し、洗礼名「トマス(多黙)」を授かります。開明派のフランス人宣教師らと交流を深めた安重根は、西洋の近代思想や国際情勢に強い関心を寄せ、教育による国力育成を目指して三興学校や敦文学校の設立に奔走しました。
しかし、日露戦争を経て1905年に第二次日韓協約(乙巳保護条約)が締結され、大韓帝国の外交権が実質的に日本へ移管されると、安重根の活動方針は教育啓蒙から武力による直接行動へと急進化します。ロシア領ウラジオストク(沿海州)へ亡命した彼は、現地の朝鮮人同胞とともに義兵運動を組織。指揮官として日本軍守備隊への襲撃を繰り返すなか、同志ら11名とともに左手薬指を切り落として血書を記す「断指同盟」を結成し、祖国独立に命を捧げる誓いを立てました。