福山雅治が手掛けたプロデュースワークの裏には、綿密かつ妥協のないセッションの積み重ねがあった。当時、弱冠20歳でメジャーシーンに躍り出た藤原さくらのポテンシャルを最大限に引き出すため、福山はボーカルディレクションからアコースティックギターのニュアンスに至るまで、徹底的なアプローチを試みたという。
レコーディング現場では、あえて完璧な優等生的なピッチを追うのではなく、「歌い手の声が持つ生の温度感」と「語りかけるような息づかい」を最優先にキャプチャする手法が採られた。ソウルやブルースのルーツを持つ藤原の歌声に対し、福山が洗練されたJ-POPのフックを掛け合わせることで、あの独特のカントリーテイスト溢れる名曲が生み出されたのである。二人のスタジオワークは、単なるプロデューサーと新人アーティストの関係を超えた、まさに音の格闘だった。