喜久雄の生涯において、最も純粋で、かつ最も残酷な因縁で結ばれていたのが長崎時代の幼馴染・春江です。長崎の任侠一派「辻村組」の組長の息子として育った喜久雄と、下町で育った春江は、互いに初恋の相手であり、言葉を超えて惹かれ合う魂の片割れでした。
喜久雄の父が抗争で非業の死を遂げ、希代の女形・花井半二郎に引き取られて大阪へ旅立つ際も、春江は喜久雄への想いを胸に秘め続けます。しかし、芸の世界で孤高の階段を駆け上がる喜久雄と、市井に生きる春江の生きる世界は徐々に隔絶していきました。
運命が決定的な捻れを見せるのは、半二郎の実子であり喜久雄の最大の親友にして宿敵となる花井俊介の存在です。喜久雄の才能に圧倒され、名門の御曹司としての重圧に苦悩する俊介は、喜久雄の影を追うかのように春江と出会い、やがて春江は俊介と深い関係を結ぶことになります。
春江は俊介を献身的に支え、彼の妻(実質的なパートナー)として梨園の裏舞台を支える立場になりますが、その胸中には生涯、喜久雄への断ち切れない感情が渦巻いていました。喜久雄、俊介、春江の3人は、「親友であり仇敵」「愛人であり義姉妹のような関係」という奇妙で残酷な絆で結ばれ、互いの芸と人生を激しく燃焼させる原動力となっていったのです。