徳川三代将軍・家光の真実|「生まれながらの将軍」と幕藩体制の全貌

徳川三代将軍・家光の真実|「生まれながらの将軍」と幕藩体制の全貌

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歴史の基本知識として頻出する「徳川三代将軍は誰か」という疑問に対し、即座に名前が挙がる人物こそが徳川家光です。慶長9年(1604年)、二代将軍・徳川秀忠と正室・江(崇源院)の次男(実質的な長男扱い)として江戸城西の丸で生を受けました。幼名は祖父・家康と同じ「竹千代」を与えられ、誕生の瞬間から将来の天下人としての宿命を背負わされていました。

家光の代を語る上で欠かせない最大のキーワードが、就任時に大名たちへ放ったとされる「生まれながらの将軍」という言葉です。寛永9年(1632年)に大御所として実権を握り続けていた父・秀忠が没すると、家光は江戸城の大広間に全国の外様大名・譜代大名を一堂に集めました。そこで家光は、居並ぶ諸侯に対して次のように言い放ちます。「祖父(家康)や父(秀忠)は諸大名と戦場で肩を並べた同僚のような間柄であったかもしれないが、自分は生まれながらにして天下の主である。これからは臣下として容赦なく扱う」――この冷徹な宣言こそ、戦国時代の名残を完全に断ち切る絶対君主の誕生を意味していました。

戦乱を勝ち抜いて実力で天下をもぎ取った家康、過渡期の政権運営で辛酸をなめつつ武家諸法度の初版を定めた秀忠。これら先代に対し、家光は平和な江戸で将軍家の嫡子として育った最初のトップです。血統の正統性そのものを権威の絶対的な源泉とするパラダイムシフトを成し遂げた点に、家光という権力者の決定的な特異性がありました。

山崎 陸
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山崎 陸

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