世間には、ムツゴロウさんに関して事実無根の都市伝説や誤解がいくつか根強く残っています。その最たるものが「巨額の借金を踏み倒して北海道へ逃げ帰った」という悪質な噂です。
上述した通り、畑さんは一円たりとも借金を踏み倒していません。生前の手記やインタビューで明かされている通り、当時の原稿用紙執筆枚数は人間の生理的限界を超えており、自室に缶詰となって指にタコを作りながら原稿料をすべて返済口座へ注ぎ込みました。この強靭な責任感と筆力こそが、文壇における畑正憲という人間の真骨頂でした。
また、テレビ特番でライオンに右手中指の第一関節を噛み千切られた事件や、「ヒグマの顔面を殴って上下関係を叩き込んだ」とされる有名な武勇伝についても、ネット上では誤った解釈が流布しています。
当時の映像や本人の解説を正確に検証すると、ヒグマを殴ったのは単なる暴力や支配欲によるものではありません。野生動物との間で致命的な事故を防ぐため、「自分は敵ではなく仲間だが、弱者ではない」ことを瞬時に伝える生物学的な威嚇儀礼(儀式的闘争)でした。実際に畑さんは、噛みつかれた直後にもパニックを起こさず、相手の目をじっと見つめて喉を撫で、動物側の興奮を鎮静化させています。
「動物を愛するとは、撫でて可愛がることではない。彼らの命の重みと狂暴性をまるごと引き受けることだ」という畑さんの言葉は、無責任な愛護論とは対極にある、冷徹なまでの観察者としての覚悟を物語っています。