上野公園の銅像建立は、明治政府の主導ではなく、宮内省顧問官であった吉井友実ら元薩摩藩士を中心とした国民的な有志の募金運動によって実現しました。
明治維新の大功労者でありながら逆賊として散った西郷に対する国民の同情と追慕の念は根強く、1889年の名誉回復以降、像の建立計画が一気に具体化しました。集まった寄付金は皇族から華族、旧幕臣、さらには全国の一般庶民に至るまで2万5,000人以上、総額約2万5,000円(現在の価値で数億円相当)に達しました。
勝海舟をはじめとする旧幕府側の要人も多額の寄付を寄せており、明治という新時代において「過去の敵味方を超えて日本を一つにまとめる象徴」としてこの銅像が位置づけられていたことが分かります。上野の山が選ばれたのも、戊辰戦争における上野戦争の激戦地であり、寛永寺の敷地を近代的な市民公園へと転換した象徴的な場所だったからです。