法隆寺を語る上で避けて通れないのが、法隆寺 聖徳太子 歴史の重層的なドラマと、明治から平成にかけて日本史学界を二分した「法隆寺再建論争 経緯まとめ」です。
推古天皇の摂政として十七条憲法や冠位十二階を制定した聖徳太子は、推古9年(601年)に斑鳩宮の造営を開始し、その隣接地に斑鳩寺(法隆寺の前身)を建立しました。『日本書紀』には、天智天皇9年(670年)夏に「一屋も余ること無く大火でことごとく焼失した」という衝撃的な記述が存在します。
昭和14年(1939年)の発掘調査で、現伽藍の南東に焼損した瓦や壁画片を含む「若草伽藍」の遺構が発見されたことで、再建論に軍配が上がりました。さらに近年の年輪年代測定によって、現在の伽藍は天智朝以降に再建されたものであることが科学的に証明されています。太子の志を受け継いだ古代の人々が、全焼の悲劇を乗り越えて総力を挙げて復興させたからこそ、現在の不滅の美が存在しているのです。