出獄後の彼の歩みは、目を見張るものがある。かつての敵であった明治政府に登用されると、その卓越した語学力と科学的見識を発揮し、外交と産業の最前線に立った。特命全権公使としてロシアに赴き、困難を極めた樺太・千島交換条約を結び結実させた手腕は、彼の外交官としての絶頂を示すものだ。
その後も外務大臣、農商務大臣、文部大臣などを歴任。さらに、現在の東京農業大学の前身となる徳川育英会育英校を設立するなど、教育や産業振興への貢献も計り知れない。自らの信念を曲げずに実務で国家に奉仕したその生涯は、「過去の恩怨を超えて国家の未来に尽くす」という、究極のリアリズムを体現していた。