俳優として順調にキャリアを刻んでいた彼に、グループ結成を持ちかけたのがリーダーの酒井一圭だった。「一緒に紅白を目指そう」。その熱い口説き文句に呼応し、純烈のリードボーカルとしての挑戦が幕を開ける。だが、当時の歌謡界は決して平坦な道ではなかった。
日本クラウン株式会社からのリリースや各地のスーパー銭湯を巡る営業回りなど、下積みの苦労は枚挙にいとまがない。それでも、往年のムード歌謡に新たな息吹を吹き込む伸びやかな高音と低音の響きは、目の前の観客を一人ひとり確実に虜にしていった。泥臭い努力を厭わない姿勢こそが、グループの屋台骨となったのだ。