平和公園に隣接する長崎原爆資料館には、被爆直後の惨状を物語る貴重な遺品や写真資料が数多く保存・展示されています。館内には、爆心地付近で発見された「11時02分で針が止まった柱時計」、熱線によって表面が泡立った瓦、高熱で溶け合って塊となったガラス瓶などが並び、訪れる人々に原爆の非人道性を無言で訴えかけています。
長崎医科大学(現・長崎大学医学部)で自らも重傷を負いながら救護活動に尽力した医師・永井隆博士の手記『長崎の鐘』『この子を残して』をはじめ、当時の生存記録には目を覆うような惨禍が記録されています。
「熱線によって一瞬で衣服が焼き尽くされ、皮膚が垂れ下がった人々が『水を、水を』とうめきながら浦上川へと倒れ込んでいった。助けを求める肉親の叫び声が響く中、何もしてやれずに火の海から逃げるしかなかった」(当時の被爆者手記より抜粋)
爆心地から約500メートルの地点にあった浦上天主堂は、東洋一と称された壮麗な赤レンガ造りの大聖堂でしたが、わずかな側壁を残して完全に倒壊。信徒約1万2,000人のうち約8,500人が犠牲となりました。現在、平和公園に建つ平和祈念像(彫刻家・北村西望作)は、高く掲げた右手で「原爆の脅威」を、水平に伸ばした左手で「平和」を、そして軽く閉じた目は「犠牲者の冥福を祈る祈り」を表現しています。