竹鶴政孝の歩んだ道を理解するうえで欠かせないのが、生まれ故郷である広島県竹原市の名家としての背景です。竹鶴家は江戸中期の享保年間(1733年頃)から続く由緒ある酒造家であり、現在も銘酒「小笹屋竹鶴」などで知られる竹鶴酒造を家業としていました。
政孝の父・竹鶴敬次郎と母・ちょうの間に生まれた兄弟・家族構成を見ると、政孝は三男(男子としては4人兄弟の末っ子)にあたります。長男の延太郎が早世したため、実家の酒蔵は次男の吉太郎が継承し、政孝自身は家業の枠にとらわれず、当時未開拓だった本格ウイスキー造りという未知のフロンティアへ飛び出すことになりました。
政孝の兄弟姉妹は多く、姉のリヨ、シゲノ、房子や、兄の敬二らとともに賑やかな家庭環境で育ちました。この親族ネットワークこそが、後に後継者問題に直面した際、甥にあたる竹鶴威を養子として迎え入れる重要な布石となります。