1992年7月8日、中日ドラゴンズ戦で達成された通算200勝。日本プロ野球名球会入りを果たしたあの夜、マウンド上の北別府は静かに歓喜の輪の中心にいた。しかし、その華々しい偉業の陰には、これまで公にされることのなかった壮絶な葛藤と隠されたエピソードが存在する。
当時のチーム関係者が明かすには、シーズン開幕前から右肘の状態は限界に達していたという。投球後のアイシングすら激痛が走る状態でありながら、「エースがマウンドを譲るわけにはいかない」と周囲には一切の弱音を吐かなかった。登板前夜には一人自室で静かに右腕を温め、フォームのイメージトレーニングを何時間も繰り返していたという。痛みを完璧なフォームでカバーし、力みに頼らず打球を打たせて取る。あの200勝達成の快挙は、技術だけでなく、凄まじい執念と精神力が生み出した奇跡の結実だった。