放浪を重ねた山頭火が、生涯で唯一自らの手で編纂し出版した句集が、昭和15年(1940年)に刊行された『草木塔(そうもくとう)』です。「草木塔」とは、東北地方などに伝わる、自然の恵みに感謝し草木の命を供養するための石碑を指します。
山頭火はこの句集の序文に、「この小草が生え、この小花が咲くについて、…すべてを草木に捧げなければならない」と記しました。自らが犯してきた数々の罪業、家族への懺悔、そして道端の草木や名もなき人々への感謝を込めたこの句集は、山頭火文学の集大成として今なお不朽の評価を得ています。
晩年、体力の限界を迎えた山頭火は、友人や門弟たちの温かい支援により、愛媛県松山市の御幸寺境内に小さな庵「一草庵(いっそうあん)」を結び、ようやく安住の地を得ました。しかし、その平穏は長くは続きませんでした。
1940年(昭和15年)10月11日、庵内で開催された句会の夜、山頭火はいびきをかいて熟睡しているように見えましたが、翌朝になっても目を覚ましませんでした。死因は脳溢血(心臓麻痺とも)、享年58。かねてより「ころりと死にたい」と願っていた山頭火にとって、それは望み通りの大往生でもありました。