東久邇家の歴史を語る上で欠かせないのが、宮家創設者である東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)の存在です。久邇宮朝彦親王の第9男子として生まれた稔彦王は、1906年(明治39年)に東久邇宮の宮号を賜り、明治天皇の第9皇女である聡子内親王とご成婚されました。
稔彦王の名が歴史に深く刻まれたのは、1945年8月の終戦直後です。敗戦の混乱を収拾するため、皇族として史上唯一となる第43代内閣総理大臣に就任。「一億総懺悔」を掲げて降伏文書調印や陸海軍の武装解除を指揮し、在職わずか54日で内閣総辞職を決断しました。
しかし、占領下の日本で皇室を取り巻く環境は激変します。1947年(昭和22年)10月14日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の強力な意向と新憲法下の財政事情により、伏見宮系11宮家51名の一斉皇籍離脱が断行されました。稔彦王をはじめとする東久邇家の人々も一民間人としての歩みを余儀なくされ、巨額の財産税によって邸宅の維持すら困難を極める過酷な時代へと突入していったのです。