小芝風花さんの半生を語るうえで欠かせないのが、小学3年生から中学2年生まで打ち込んだ本格的なフィギュアスケート選手としての経験です。彼女は西日本小中学生大会で優勝を果たすなど、トップクラスの実力を誇っていました。しかし、競技フィギュアスケートの世界は、過酷な練習だけでなく莫大な経済的負担が親にのしかかる過酷な世界です。
母子家庭でありながら、母親はどのようにしてこの競技生活を支え抜いたのでしょうか。一般家庭の基準と、小芝家の実態を比較すると、母親が払った犠牲と覚悟の大きさが浮き彫りになります。
母親は一般企業等で働きながら生計を立て、限られた家計のなかからリンク代やコーチ代を工面していました。高額な競技用衣装を購入する余裕がないときは、既製品に頼らず、母親自らが夜遅くまで針を動かし、スパンコールを一つひとつ縫い付けて華やかな衣装を仕上げていたといいます。
毎朝4時に起きて練習拠点へと車を走らせ、娘の体調管理を完璧にこなす生活を何年間も継続することは、強靭な精神力と深い愛情がなければ不可能です。小芝風花という表現者のタフな精神は、このフィギュアスケート時代の母娘の共闘関係によって鍛え上げられました。