東日本大震災から長い年月が経過した今もなお、原子力発電をめぐる議論は終わっていない。当時の事故は、「絶対安全」と称して津波対策を先送りにし続けた東京電力の組織風土、そして規制当局としての役割を果たせなかった経済産業省原子力安全・保安院の怠慢が招いた人災であった。
吉田所長個人の奮闘によって壊滅的な被害は免れたものの、それは「偶発的な幸運と現場の犠牲的努力」に依存した綱渡りに過ぎなかった。現場に過剰な負担と決断を強いる構造そのものを変革しなければ、いかに優秀な指揮官がいても事故は防げない。エネルギー政策の再構築が進む現在において、吉田氏が命がけで残した警鐘を風化させないシステム作りこそが求められている。